christian_k15のメモ帳

プロテスタントのクリスチャンです。クリスチャンになって20年が過ぎました。

みことばが信仰の要

聖書は神様のみことばです。
旧約聖書新約聖書に分かれていますが、どちらも欠かせないものです。聖書全体を通して読む『通読』は特に大事です。

聖書を読むと、聖書は聖書の解説書だなと思うことが度々あります。
なんか文字にするとおかしい感じですが、感覚的にはこの通りです。

昔こういうことがありました。ある聖書解釈を読んだのです。聖書のみことばから理論的に導きだしているように思えました。そのHPを読み、無料で取り寄せられることができた書籍を読み、この解釈が本当なら教会を変えようとさえ思ったのです。
そこで所属教会の牧師先生に連絡を取り、その聖書解釈をぶつけてみました。先生は聖書からその解釈の問題点を冷静に指摘されました。
私はどうしたかというと、『どちらが正しいのか神様は教えてくださる』と、考え、聖書を読んだのです。
祈るのも忘れませんでした。クリスチャンになったときから神様は実際に私に教えてくださると体験していたので、教えてくださいと祈って聖書を読みました。
その結果、私が鵜呑みにしかかった聖書解釈のほうが誤りだとわかったのです。

聖書は偽りのない神のみことばなのですが、だからこそサタンが悪用してくることがあります。
エス様が試みを受けられた時のように、サタンは聖書のみことばを悪用して私たちを試みてくることがあります。対抗するためにはどうしたら良いのでしょう?イエス様はサタンの試みをみことばによって退けられました。私たちもみことばによって『みことばの悪用』を退けることができます。
聖書の通読が有効なのは、全体を通して読むことで『みことばの悪用』や、一部を切り取った恣意的な聖書解釈を避けられるようになるからです。

みことばが信仰の要なのです。