christian_k15のメモ帳

プロテスタントのクリスチャンです。クリスチャンになって20年が過ぎました。

牧師先生との交わり

私は所属教会が海外にあり、主任牧師と副牧師の先生が年に数回来日されて二時間~三時間の交わりの時間をもっています。
どうしてそんな状態に?っていうのはまた今度書くとして、今回はつい先日まさにそんな貴重な時間を過ごしたのでブログに書いておきます。

主任牧師、実は先月来られる予定だったのが緊急事態で急遽帰国しなければならず残念ながらお会い出来なかったので、今回お会い出来たのは本当に嬉しい。
ファミレスでお昼ご飯をいただいて、それからお話を聞く流れ。ちなみに牧師先生、日本ではカレーライスもお箸で召し上がられる強者です。めっちゃ上手。うどんだって普通にお箸。
お会いする機会が限られるので、お話はだいたいひとつのテーマについて聖書のみことばを次々ピックアップしながら話されるスタイルです。最初と最後にはお祈りをします。
今回は今までも取り上げられてた『信仰』について。ローマ書10章17節、マルコ9章23節と11章24節、ヘブル11章の1節と6節。定番ですね。いつもはもっと山ほどみことばをピックアップする(家に帰ってから読んでねって言われるw)んだけど、今回はゆっくりじっくり信仰のお話を聞きました。
信仰がsubstance(物、物質)だということ、神様からいただいているものだということ、いわば道具であって神様は私たちが信仰を持ち続け、保ち、実際に使って成長させていくのを期待されているということ。そのために普段の生活でも『何を見るか何を読むか何を聞くか誰の話に耳を傾けるか』を注意しなければならない、というお話でした。
あと、『もし私たちが黙ったら石が叫ぶと書いてある(ルカ19章40節)。無機物でいのちもないただの石が神を賛美するなら、生きて手に聖書を持っている私たちはなおのこと神を賛美しなければならない』っていうのもすごく刺さりました。ほんとにな。聖書読んでて神様知ってて主イエス・キリストを信じてる人間が主を賛美しないでどうするのって話ですよ、反省。
帰りには什一献金とおうちで取れた収穫物(柚子とか)をお捧げしてお別れしました。今回は初めてICレコーダー持ってって録音したんで聞き返してます。主任牧師の英語、聖書の話のときはわりとリアルタイムで聞き取れてわかるようになってきたけど普通の会話はまだまだです。英語の勉強にもなります、たぶん。

普段は教会に通うこともなく聖書読んだりお祈りしたりして信仰生活送ってますけど、教会に所属して主任牧師や副牧師や兄弟たちのサポートがあるからできることだなとつくづく思います。
特に兄弟たちの祈りと献金のサポートが大きいですね。私の献金は雀の涙くらいなもんですけど、主が運用されて(笑)教会のなかで100倍に増やしてくださいますように。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。