christian_k15のメモ帳

プロテスタントのクリスチャンです。クリスチャンになって20年が過ぎました。

私がクリスチャンになったときの話

今日は私がクリスチャンになったときの証を書こうと思います。

約17年前、今では懐かしいインターネット掲示板全盛期、私はとあるキリスト教系の掲示板にいました。
私生活で当時の心配事が無くなり日常に余裕ができたので、かねてから興味のあった宗教の勉強をしようと思い、手始めにわりと簡単そうなキリスト教のことを調べようとしたのです。
数あるキリスト教系の掲示板のなかで特に活発だったのがそのスレッドでした。そこでは、のちに私の教会員の仲間になる兄弟と、ガチガチの反キリスト者の論者が、ほとんど毎日キリスト教の議論をしていました。
私は初め単なる傍聴人としてそこにいて、どちらの勢にもつかずにただ議論を読んでいました。次第に兄弟がどんな反対反論を受けても動じないで首尾一貫して伝道しているのを見て、『クリスチャンはいったい何を信じているんだろう?何を信じてここまでのことができるんだろう?』と不思議になり、『クリスチャンは何を信じているのか』を知りたいと思って聖書を読み始めました。(読む前に、掲示板で何から読めば良いか聞いたのを覚えています。反キリスト者の人は苦笑いだったでしょうね。反応がそんな感じでした)
勧められた新改訳の新約聖書をネット通販で手に入れ、教えられたように最初に祈り、マタイの福音書から順番に読み始めました。
読んでいる時はインターネットを開かず、掲示板を見ないようにしていました。一通り読んでしまってから掲示板に出入りしようと思ったのです。読んでいる間、兄弟からも反キリストの人からも何の影響も受けたくないと思ったからでした。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ使徒、と読みすすめても、私はまだクリスチャンが何を信じているのかわかりませんでした。新約聖書イエス・キリストの伝記か伝承を書いた昔の本、という感じです。現代に生きる私とは隔たりがあります。イエス・キリストは2000年前の人物で、イエスに救われたのは2000年前の人たちで、今現在の私ではないと思っていたのです。
「ローマ人への手紙」に入りました。(これを読むまで聖書に書簡が含まれていることも知りませんでした。予備知識ゼロです)
福音書よりは分かりやすい語り口だったので楽に読み進めることができました。福音書は独特な言い回しだったり(ヨハネ福音書とか)、ユダヤ人向けの喩えが多くて私にはいまいちピンと来ないところもあったのです。パウロの書簡はローマ人に向けたものだったので分かりやすかったのでしょう。
このローマ人への手紙で、私を信仰へ進ませるみことばを読みました。

『私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。』(ローマ5章6節~8節)

この箇所を読んだとき、イエス・キリストが他の誰でもない『私』のために死んでくださったことを知ったのです。

パウロはぺテロやヨハネのようなイエス・キリストの弟子ではありませんでした。逆に反キリストで、クリスチャンを迫害する側の人間でした。パウロがクリスチャンになる経緯は使徒行伝に書かれています。そしてパウロがこの手紙を書き送ったローマの人たちも、福音書に出てくる弟子たち、集まった群衆たちではありませんでした。福音書に出てくる、イエス・キリストが直接的に奇蹟を起こして救った人たちとは違って、ある意味無関係とも言える人たちです。しかしパウロは、イエス・キリストユダヤ人だけじゃなくこの世界のすべての人々の救い主だということをあかししています。
私はパウロのあかしを受け入れ、イエス・キリストが『私』を救ってくださったことを知りました。

私はその場でイエス・キリストの御名によって祈り、イエス様がキリストだと告白し、クリスチャンになりました。だれも聞く人はいません。自分の部屋で自分ひとりでの信仰告白です。神が聞いてくださっていました。

そのあと、新約聖書を全部読み通してから再び掲示板に戻り、そこでも信仰告白してクリスチャンになったことをあかししました。反キリストの人はもしかしたらクリスチャンのサクラだと思ったかもしれませんね。おそらく特殊なケースですし、インターネット上では本当かどうか確かめることができませんから。
兄弟は自分の教会を私に紹介してくれました。特にこだわりがあったわけではないのでその教会の教会員になりました。(そういうわけで私の教会はアメリカにあり主任牧師と副牧師が時折来日されて祈りや聖書の学びをしています)

私は自分の経験があるので、主は実際に人に働きかけて救われる方だということを知っています。
聖書を読むだけで救われる人がいます。私は予備知識なしに聖書を読んで救われました。聖書が生きた神のみことばです。神はおられ、御子イエス・キリストの十字架によって私の罪が贖われ、またイエス・キリストの復活によって私は救われました。聖霊様は実在し力をもって働かれる生ける神です。

聖書を読むのに特別な知識はほとんど要りません。
必要な知恵と知識は神が個別に教えてくださいます。私が救われたみことばはローマ書にありましたが、ある兄弟は創世記、ある兄弟はまた別のみことばと、神が語られるみことばは人それぞれです。最終的にはイエス・キリストを信じて救われるという神の御わざにたどり着きます。
中国には政府に認められていない地下教会があって、その黎明期にあったのは聖書だけでした。教える人もおらず、兄弟たちは聖書だけを読んで救われていきました。神のみことばは力のあるものです。
私たちの国は幸いにして聖書を自由に読めます。それも母国語で読めます。神のみことばは生きた力を持っています。聖書は2000年前の人たちだけじゃなく、今現在の私たちにも宛てられた神のみことばです。
私が救われたのは兄弟の伝道ではありませんでした。兄弟自身が「なんでクリスチャンになったんですか?」と聞いてくるほどです。兄弟の態度がきっかけにはなっても、実際に私に伝道したのはパウロであり、パウロを通して働かれた主です。

私に恵みを施し、私を救ってくださった神の御名をほめたたえて賛美します。ハレルヤ。アーメン。