christian_k15のメモ帳

プロテスタントのクリスチャンです。クリスチャンになって20年が過ぎました。

イエス様に助けを求める。

新約聖書の一場面にこんな出来事があります。
エス様が舟に乗って湖を渡っておられた時、弟子たちも一緒の舟に乗っていたんですが、湖の上でいきなり暴風が吹いて舟が波をかぶったらしい。
波をかぶるくらいですから相当強い風だったのでしょう。もしかしたら舟自体もかなり揺れたかも。今にもひっくり返ってみんな湖に投げ出されそうになってるのにイエス様はひと眠りされてる。弟子たちは慌ててイエス様を起こして、「主よ!助けてください!」と叫びます。
エス様は起きて、弟子たちにこう言われます。『なぜこわがるのか。信仰の薄い者たちだ。』
そして起き上がって風と湖を『黙れ、静まれ』と一喝。イエス様に怒られた風はやみ、湖は大凪ぎになります。弟子たちはイエス様が持っておられる権威の大きさに改めて驚いたのでした。


現代を生きるクリスチャンも、この弟子たちのような経験をすることがあります。
というか、ここまで大きな出来事でなくとも、人生のなかで多かれ少なかれ似たような経験をします。突然の事故。突然の事件。突然の災害。
クリスチャンは主とともにいますが、事故や事件、災害に遭います。これらのことと死ぬまで全く無関係でいられる人はおそらく居ないでしょう。日本はとくに災害大国と言われるような国で、年に一度はどこかで大きな災害が発生しています。災害には遭わなくても何かの事故や事件に巻き込まれる人も多くいます。クリスチャンといえどこの世の災いに全く無関係ではいられないのです。
特に地震や台風や大雨といった災害時に、なんでこんな目に遭うんだと神様に不平不満を言ったり、あるいは被災者に天罰が下ったんだザマアミロと言ったりする人がいます。
ところが、この湖の暴風のシーンを読むと、イエス様と一緒にいても災害に遭う時は遭うし、天罰云々は的外れだと言うことも分かります。だってイエス様が天罰受けるわけがないですからね。神様を信じようと信じまいと、ことが起こる時は起こるのです。

エス様が「信仰の薄い者たちだ」と言われたのはそのまま現代の私たちにもグッサリ刺さるみことばです。おっしゃる通りですとしか言いようがないのですが、だから諦めたり絶望するよりも、せめて弟子たちの行動に習ってみたいと思います。

弟子たちは遠慮なくイエス様を起こして助けてくださいと言いました。
エス様が乗っている舟ですからひっくり返る事は絶対になかったでしょう。弟子たちがイエス様を起こさなくても、そのままにしておいても大丈夫だったのです。
でも、弟子たちが助けを求めたのは別に間違いでもなんでもないと思います。素直に助けてくださいと言えば良いのです。「主はこんな状況からでも私を助けてくださるから大丈夫」と言う信仰を持っている人なら話は別ですけど、そうでないなら助けてくださいと祈るのが正解です。イエス様は祈りを聞いてくださり、必ず助けてくださいます。何かあったときに助けも求めずただ不安になったりぐちぐちと怒ったりして神様を信頼しないくらいなら、こわいから助けてくださいと祈るほうがずっとマシです。持っているのが薄っぺらい信仰でも、全然信仰を持っていないよりはずっと良い事だからです。